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Top Interview 

加治屋百合子/ヒューストン・バレエ プリンシパル

「舞台マジックを起こしたい」

2022' June Vol.85

Dancers Web トップインタビュー

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 -6歳頃からバレエを習いはじめたそうですが、「自分はバレエに向いてないかもと思っていた」とおっしゃっていたのはとても意外でした。

 

 その当時、周りと比べてしまい、私は全然バレエ体型でないと思っていました。鏡を通して自分と周りの子と見比べてしまってたんでしょうね。バレエは、まず自分のマイナスなところに目がいきがちじゃないですか(笑)。たぶんみんなが思うところであり、だからこそ、「こうなりたい」という強い意志や目標、夢が育まれるのではないでしょうか。

「自分の思うように身体がついてこない。表現できない」といったもどかしさを味わいながら、日々努力を重ね、理想とするイメージにパズルのようにはめ込んでいく…。そういった創り上げてゆく過程や時間が好きですね。

 

 ―これまでのバレエライフで、もっとも影響を受けた人はいらっしゃいますか?

 

 やはりジョン・クランコバレエ学校で2年間学んだ先生です。

自分の中で気づけなかった広い世界の中でバレエというものを、どう形づけてゆくのか。まずその基礎の部分をしっかりと教えてくださり、そして身体に合った「つくり方」をさらにじっくりと教えてくださった。

 でもその先生からは、よくレッスン中に「そんなこともできないんだったら日本に帰りなさい!」と怒られたりも…。

 先生は私のこと嫌いなの?って悩んだぐらい(笑)。でも周りからは、「SHOKOに目をかけているからだよ」と励まされて。先生はそれぐらい毎日真剣に私に向き合ってくれました。

 

 -その後、シュツッツガルト・バレエ団入団後に左脚の怪我をされて、復帰するまで1年半かかったそうですね。

 

 バレエ専門の医療機関で手術したんですが、術後はギブスをしてまったく動かせなかったんです。でもお医者さんからは、「ギブスをしながらでも少しずつ運動しないと、踊れなくなるよ」と言われて、1年半の間ひたすらリハビリの毎日でした。

 その間の期間は不安しかありませんでした。立つこともできないのに、もし治ったととしても、本当に踊れるようになるんだろうか?その姿を想像すらできない。

 

 そんなときに母は「今あきらめるのはまだ早い。治ってできなかったらしょうがないけど、今はあきらめるときじゃない」と。一番踊りたい年齢のときに、踊れなかったのは本当に辛かったですね。

 辛い時期を乗り越えられたのも、バレエが踊ることが大好きという気持ちが自分の背中を押し続け、“諦めない”と精神が自分を強くしたのだと思います。出産を経験した強さとはまた違うものなので、色々な強さを経験できています!(笑)

 今振り返っても、リハーサルでどんなに苦しい思いをしてもクタクタになっても、やはり「踊れない」という状態のときが一番辛いような気がします。

 

 ―14年間海外で色々なバレエ団で活躍されましたが、今後外に出たいと思っているダンサーにアドバイスはありますか?

 

 色々な環境に身を置くこと。

ダンサーとしてでなく人間としても、同じ場所にとどまるよりも、知らない自分に出会うための新しい環境づくりをしてみることも大事なことではないかなと思います。ダンサーは表現者として、さみしさ、悲しさ、悔しさ、嬉しさといった感情をたより多く持っていた方がいい。様々な環境や多くの人との出会いは、人としても成長させてくれます。

 

 -海外のバレエ団などで、日本でも見習った方がいいところはありますか?

 

 もちろん日本も素晴らしいところはたくさんありますが、海外でいいなと思うところを挙げるとすれば、アカデミーなバレエ学校が存在する点でしょうか。

 バレエ学校で基礎をより良く学べる場所があるといいですよね。日本でも上手な子どもたちはたくさんいます。でも内面が伴っていないことも多い。踊りの解釈に対しても、「なんとなく」ではもったいない。内面をどう表現して踊りに繋げてゆくのかで舞台で創り上げる世界観は変わっていくので、表現方法を幅広く持ってほしいです。

 

 ―日本に帰国後、K-Ballet Companyでプリンシパルととして活躍されましたが、その中でもっとも印象に残る出演作品は?

 

 『クレオパトラ』は私にとって、深く印象に残る舞台でした。

あの作品はエネルギーを全部もっていかれるぐらい、吸い取られましたね(笑)。でも舞台の上で生きている感覚をしっかりと感じました。こういうドラマチックなバレエは大好きです。「マノン」「オネーギン」や「マダムバタフライ」もまた踊りたいですね。

 

 -現在はフリーとして活動されていますが、いままで踊ってきた中で一番思い入れがある演目はありますか?

 

 やはり「白鳥の湖」ですね。はじめて主演させてもらった作品ですし、特別な思いがあります。ウィーンバレエ、ベルリン、ミハイロフスキーバレエ、Kバレエ カンパニーと、様々なバレエ団でも踊ってきました。でも毎回悩む。たくさん踊ってきたはずなのに、「今回はこれじゃない」「今日はこう見せたい」と何度もリハーサルを繰り返す。

 そうやって白鳥に向かう自分も好きだし、40代になった今、またどのように表現できるか。そんな機会があったら挑戦してみたいと思います。

 

 -ダンサーとして、もっともこだわる点はどんなところですか?

 

 正直自分への“こだわり”、しかないですね(笑)。

パ・ド・ドゥのパートナーにもしっかり自分の意思を伝えます。伝えたいことがあるのに、ガマンしていたらいいものはできません。そのためにリハーサルしているのでいいでしょ?というスタンスを私は持っています(笑)。

 実際もっともっともっとみんなお互いのパートナーと向き合って話し合ってもいいんじゃないかな。遠慮するよりも、「こうした方がいいんじゃない?」というコミュニケーションがもっとあってもいい。「このぐらいで」と妥協してしまったらそれまで。リハーサルで本音を出し合わないと、舞台の上でいい信頼関係は築けないですから。

 

 -祥子さんにとってダンサーの「美学」とは?

 

 「人間味があること」がすごく大事なのかなと。

スタジオでレッスンして身体をつくる努力ももちろん大切ですが、ただ単に踊っているだけでは、人には伝わらない。ただ美しい、というだけの追求ではなく、人としても色々な経験を積んで人間を深めたい。人を大切にしたい。

 そういう熱意だったり探究心が、舞台でひとつ一つの仕草に表れるし、その感情がオーラとなってお客様に届けられるのではないのかなと感じています。

 

 -8月5日(金)からは、1年越しの「BALLET The New Classic」の公演がいよいよ開催されます。プリンシパルやソリストの豪華なメンバー11名の顔ぶれですね。

タイトルに「New」とありますが、どんな思いが込められているのでしょう?

 

 「新しい世界観」が盛りだくさんだと思います。

音楽・衣裳・メイク・照明・空間に至るまで、日本を代表するトップクリエイターたちで、その方達とダンサーとのコラボレーションとなっており、すべてが“New”であり、みんなにとっての挑戦です。

 私はソロでは「瀕死の白鳥」に出演しますが、当日発表となるサプライズも用意されています。全メンバーが出演する「ライモンダ」も楽しみにしていてください。私たちもどんな舞台になるのかワクワクしています。

 

 ―本作の舞台監修・出演の堀内將平さんとの対談で、「学んできたことを伝えたい」とおっしゃっていましたが、どんな点でしょうか?

 

 自分の思いを表現につなげるということです。踊りとしての形はつくれても、表に出していくことはとても難しいことです。表現の仕方は無限にありますが、言われてすぐできるものではない。それには表現力が養える環境をつくらなくてはいけない。

 先輩の舞台を観たり意見を聞いたり、色々なことに貪欲に、自分の世界を広げて創り上げてゆくこと。そういう中身の成長もとても重要だと思います。

 

 -今、ダンサーとして興味があることは?

 

 新しい振付家との出会い。新しい環境で、また壁を登りきりたいです(笑)。

そこに向かう自分に成長があるし、自分がこの先どこまでいけるのか、挑戦を続けたいです。

 

〈BALLET TheNewClassic 2022〉
2022年8月5日(金)~7日(日)恵比寿ザ・ガーデンホール
https://www.balletthenewclassic.com/

【中村祥子 Nakamura Shoko プロフィール】

佐賀県佐賀市出身。6歳よりバレエを始める。

1996年ローザンヌ国際バレコンクールにてスカラーシップ賞、テレビ視聴者賞を受賞。同年より1998年までジョン・クランコ・スクールに留学。シュツットガルト・バレエ、ウィーン国立歌劇場バレエで活躍後、2006年ベルリン国立バレエに移籍、2007年プリンシパルに昇格。2013年ハンガリー国立バレエにプリンシパルとして移籍。2015年より日本に拠点を移し、Kバレエカンパニーにて活躍したのち名誉プリンシパルとして名を残し、現在はフリーランスとして活動中。

2016年第66回 芸術選奨 文部科学大臣賞(舞踊部門)、第47回 舞踊批評家協会賞受賞。2018年第39回 橘秋子賞 優秀賞受賞。2020年第34回 服部智恵子賞受賞。

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