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木下嘉人/新国立劇場バレエ団ファースト·ソリスト
「自分でありつづけること」
2024' Nov. Vol.112
Dancers Web トップインタビュー
―10歳からバレエをはじめたそうですね。
妹が3歳から寺田バレエ·アートスクールに習っていたのですが、母親から「やってみる?」と言われ、僕は10歳からはじめました。
今と違って男性のバレエ人口がそんなに多くなかったですし、その当時、僕はバレエよりもスポーツに興味がありました。バスケットボールの部活に入っていましたが、ほかにもサッカーや野球なども好きでした。
―実際、はじめてみていかがでしたか?
男の子が僕しかいなくて、正直恥ずかしいという気持ちでした。最初は楽しさが分からなくて、ずっと辞めたいと思っていました(笑)。母親から「発表会に出たらやめていいよ」と言われていたのですが、その発表会で田中俊太郎くんと出会い、男の子といっしょに踊るのはそれが初めてで、とても楽しかったんです。それでバレエを続けることにしました。
―ウクライナからのバレエダンサーとの出会いも大きかったそうですね。
寺田バレエ·アートスクールがウクライナのバレエ学校と姉妹校だったので、教室の発表会のときには、ウクライナのバレエダンサーが招かれてゲスト出演するんです。
そのとき来日したダンサーが、(レオニード・)サラファーノフ、(デニス・)マトヴィエンコ、(ヤーナ・)サレンコとか、大スターたちで、とにかく皆カッコ良くて憧れました。
―その後、短期留学をされたきっかけは?
外国人の中に混じって、レッスンする空気感を味わたいと思ったんですね。中学2年生のときキーウバレエ学校に3カ月留学しました。14歳のときです。
男性のクラスがあることが新鮮で、とても楽しかったです。バレエが前よりもっと好きになって、誰よりも上手くなってやる!という意気込みでいました。
―プロのダンサーになる前に、もっとも強い影響を受けた人はいらっしゃいますか?
デニス・マトヴィエンコさんです。もちろん様々なレジェンドのダンサーはいらっしゃいますが、彼は僕にとって実際に目の当たりにすることができた素晴らしいダンサーで、とにかく存在感がとてつもなかった。若い頃に彼の踊りを近くで見ることができたのは大きな経験でした。
―その後、ウクライナとドイツに留学されたそうですね。
高校2年生のときにキーウバレエ学校に1年間留学して、卒業後はドネツク·バレエに5年、ドイツのチューリンゲン·バレエに2年、ライプツィヒに2年間、オーストリアのザルツブルクに3年で、合計13年間海外に滞在していました。
ドネツク・バレエでの5年間はとても楽しい思い出です。国籍が異なる4人の男性同士で仲良くしていて、同世代だったので気も合い、「俺はピルエット6周回れた」とかいつも競い合っていて。レッスン後もいっしょに4人で遊びに行ったり、いつも行動を共にしていました。
ただ、バレエを研鑽していくということだけでなく、プロとしてお金を稼ぎながら生活するということを見つめ直すようになって、ドイツのバレエ団に移籍しました。欧州では3つのカンパニーを経験しましたが、ザルツブルク州立劇場バレエではネオクラシック、コンテンポラリーの作品も多く踊ることができました。
―日本に帰国を決意した理由は何ですか?
海外での経験は、自分でも成長している実感が持てていたのですが、ある程度年齢を重ねてきたタイミングで、このまま海外に居てもし踊れなくなったとき、どのように生きていくのだろうと考えました。今後の活動や人生を考えたとき、アジア人である自分がダンサーでなくなったとき、このまま欧州にいる姿が想像できなくて、日本に帰ろうと帰国を決意し、2015年に新国立劇場バレエ団へ入団しました。
―翌年にはソリスト、21年にファースト・ソリストに昇格されましたが、これまでの出演作で忘れられない舞台はありますか?
数えきれないほどありますね。選ぶのは難しいのですが、あえて挙げるのであれば、2020年に新型コロナウィルスの影響で公演期間中に中止になった『マノン』です。人間の深い闇の部分を描いていて、表現面でもとても勉強になった作品でしたし、公演の自粛をしなければならないことなど、これまで経験したことがないことが重なり色々考えさせられました。
―大きなターニングポイントとなった出演舞台を教えてください。
すべての舞台の経験が僕自身に影響を与えているので、こちらもどれというのは難しいのですが、ひとつ挙げるならば『不思議の国のアリス』で出演した白ウサギです。
演じることの楽しさを深く実感することができた役柄でした。バレエは基礎が重要ですが、その上そのキャラクターは今どういう気持ちなのか、なぜそう動くのかを理解できていないと踊れない。キャラクターの個性を考え抜いて表現する。演技って楽しいな、と心から思いました。
― 周囲の反応はどうでしたか?
自分では分からないのですが、「エドワード・ワトソンにそっくり!」と言われました。とても恐れ多いです(笑)。
―これまでバレエを辞めたいと思ったことはありますか?
ドイツのバレエ団に移籍する前ですね。当時、僕は踊ることで食べていける状況に身を置けていなかったので、家族に迷惑をかけてバレエを続けていていいのかと悩みました。ドイツのバレエ団のオーディションが上手くいかなかったら、すぐバレエを辞めようと覚悟を決めていました。
―ご自身のバレエダンサーとしての「美学」は、と問われたら?
「自分でありつづけること。自分を貫き通すこと」だと答えます。例えば、身体のラインが美しくても中身が伴わないと本当の意味で“美しく”ないのではないかと思うんです。自分という個性を大事に、こだわりを持つ。自分はこう踊りたい、こう見せたいというのがあれば武器になるし、美学につながる。
要は自分との闘いですね。
―2021年に振付された『人魚姫』『Passacaglia』の二作品がファン投票で選ばれました。『人魚姫』は短い中に深い物語性が感じられ、ぜひ全幕を観てみたいと思わされました。本作誕生のきっかけをお聞かせください。
コロナ禍で少し時間に余裕があったときに、音楽を色々聴いて好きな楽曲をストックしていました。その時に、マイケル・ジアッチーノに巡り合ったんです。
この年の「Dance to the Future 2021」では、“物語をつくる”というテーマがありました。マイケル・ジアッチーノの曲は吸い込まれるようなメロディーで、“水”のイメージが浮かび、次に人魚姫の物語と、感覚的な部分でつながっていきました。
―11月29日(金)に開幕する「DANCE to the Future 2024」で『光と闇』を振付・出演されます。小野絢子さんと共演になりますね。
はい、贅沢なキャスティングになっています!
「光と闇」は正反対にみえますが、お互いがいないと存在できない。人間も良いときと悪いときがあるように「光と闇」は近い存在であり、じつは一つなのではないのかなと感じています。それをライティングと空間を駆使しつつ表現できたら、と考えています。
―今回使用するマックス・リヒターの音楽との出合いをお聞かせください。
ドイツのバレエ団ではコンテンポラリー作品を踊る機会も多く、そこで最初に出合ったのがリヒターの楽曲でした。瞬時に惹きこまれる音楽ばかりで、今回使用している曲もその魅力が伝わると思います。
―今後の展望をシェアしていただけますか?
与えられた役を全力で挑みたいというのはいつも変わりませんが、『不思議の国のアリス』の白うさぎ、『マノン』のレスコー、『白鳥の湖』のベンノなどのような、演じる喜びを与えてくれるキャラクターにこれからも巡り合えたら嬉しいです。役柄を生きることで、深みが出せるダンサーになりたいと思います。
振付家としては、全幕ものを創ってみたい思いはあります。それには能力が必要ですし、時間もかかりますが、いつか実現させたいですね。
第37回武蔵野シティバレエ定期公演
2024年11月17日(日)武蔵野市民文化会館 大ホール
(『ラ・バヤデール』第2幕より、ソロル役で出演)
https://www.musashino.or.jp/bunka/1002092/1006606.html
「DANCE to the Future 2024」
2024年11月29日(金)~12月1日(日)新国立劇場 小劇場
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dtf/
【木下嘉人プロフィール】
寺田バレエ·アートスクールで寺田博保のもとバレエを始め、キーウ国立バレエ学校で学ぶ。2006年セルジュ·リファール国際バレエコンクールシニアの部第3位。ドネツク·バレエにてワジム·ピーサレフに師事し、チューリンゲン·バレエ、ライプツィヒ·バレエ、ザルツブルク州立劇場バレエ団でソリストとして活躍した。2015年に帰国し新国立劇場バレエ団にファースト·アーティストとして入団。2016年ソリストに昇格。18年「こどものためのバレエ劇場『シンデレラ』」で主役デビューを果たし、その他にも、マクミラン『ロメオとジュリエット』マキューシオ、『マノン』レスコー、ウィールドン『不思議の国のアリス』ルイス·キャロル/白ウサギ、中村恩恵『火の鳥』タイトルロールなど主要な役を踊っている。21年ファースト·ソリストに昇格。NBJコレオグラフィック・グループでは意欲的に作品を発表し、『Contact』は21年「ニューイヤー・バレエ」でも上演された。
https://www.nntt.jac.go.jp/ballet/nbj/dancer/list/kinoshita_yoshito.html